ぴーちゃん(ピーコ)のあゆみ
2010年 平成22年5月27日に埼玉県春日部市の部ブリーダーさんでアメリカンショートヘアの父シルバータビー、母はブラウンタビーの間に男の子1匹、女の子3匹のなかの女の子1匹として生まれ、その後ペットのコジマ青戸店に来ました。そこで、虫下しをして、左右の犬歯を抜かれ7月31日に中野区中野店に移され、8月1日に伊東家に引き取られた。最初は1階の和室で生活していました。大きさは手のひらにのる程度でした。粉ミルクとお水、サイエンスダイエットをお湯でやわらかくしてあげていました。小さな2段ケージでピンクの猫砂のトイレを使っていました。その後3か月後に2階にあげての生活がはじまり、ケージから出した生活がはじまりました。しばらくはこの状態での生活で、リビング、和室、台所、パソコン室、あゆみさんの部屋にもはいりこんでした。その後、離乳期を過ぎて普通に食事ができるようになりました。12月の生後6か月を過ぎた頃にコジマ動物病院で避妊手術をしました。爪切りは毎月コジマの中野店に行ってました。1歳を過ぎたころ平和台のペットショップで、体を洗ってもらいました。泊を伴う旅行に行く時には、ペットホテルに何回か預けました。
また、湯沸かし器の交換や畳屋さん、水道の工事に業者、エアコンの交換工事の人がくると、様子を見に行きました。猫好きな人には、すりすりして行きます。
また、屋上への階段をあがっていって、そこで休んでいることもありました。ある時には、後ろの三歩をして楽しむこともできました。
大きくなって、ケージも、三段の大型の物を買い、一番上の段で休んでいました。また、大型のタワーを買いました。10歳ぐらい頃の5月に私が足の手術をしたときに感染にかかり病院にかかりました。
最近のルーティーンは、夜はリビングのソファの上で寝ていてたまに人の傍で一緒に寝たりしていて5時前後に猫砂を掻いたり、爪とぎを研いだり、引き戸をたたいたり、これは洗面上で水を飲んでいたので、水を出してもらいたいための行動として定着、しかし、音でも起きないと、顔や布団
を叩いたり、時には手をかじって起こすこともありました。
つまり、猫さんの行動で朝は早起きになりました。食事は、乾燥した餌は自由に食べられるように補充しておきました。朝食は、最初のころはちくわも食べていましたが、途中から食べなくなり、ハムを好むようになりました。パンも食パンではなく菓子パンなら食べていました。あと、10時ごろにヨーグルトをもらい、おやつを食べて、昼頃にチュールをたべていました。午後はよく昼寝をしていました。
昨年(2023年)ごろの秋に尿の量が多くなっていたこと、吐く回数も増えてきていました。12月上旬には血液がまじった吐血物が見つかり、5日にコジマ動物病院に連れていき診察と検査の結果、即入院で8日ほどしました。ゲージにはいっていたので足が弱っていたので、中旬から2~3日通院して点滴を受け、薬を一日2回与えていました。このころ体重は一番重かったころより1kgほど痩せてしまっていました。コジマ病院の原先生にはお世話になりました。そしてこの病院の機器では詳しく調べられないということで6日に別の機器のそろっている病院に転院しました。そこはエルムス動物病院で村田先生にお世話になりました。 そこでこの子の場合は肝臓が普通より小さく、腎臓は片側が大きくなっていることがわかりました。さらに脾臓の機能はほぼ機能していないじょうたいでした。どうも、腎臓が機能しなくなり血液がきれいにできずに造血する肝臓が機能しなくなり、症状が黄疸を起こしている状況で脂肪の分解やたんぱく質の分解する胆汁をためてをく胆のうの働きもできなくなってしまっていました。
いわば、この状況では生命の維持は難しくなり、これらの状況の改善は難しく、2週間以内、すぐになくなることもありますといわれましたが、(入院して、安楽死も?)入院ではなく家で見ることで連れて帰りました。すでに、食べ物食べず、水ものまずの状況でしたが、7日はよたよた歩いて、横になり、頭を起こし、また歩いて横になる状況でした。とりあえずもらった薬を1日2回をのませました。9日の朝は、自分の枕元で横になり、息も絶え絶えで、キャリーバックの脇のおいてたら、中に入りくたったとなり、抱き上げたら冷たく2~3回咳き込むでそのあと息を引き取りました。13歳8か月で命を終えました。
家族を呼んで、みんなで最期をみました。その後、まわりのかたずけ、箱用意してそこに納めました。
病院の予約の取り消しやペット葬をしてくれるところを探しましたが、JAの関連の会社で葬儀をしてくれるところを探したら世田谷区烏山にあるところで、やっていただけることになり10日14時にその場所で、火葬と葬儀をして頂き骨壺にして家に持ち帰り、いまリビングに安置してあります。これから安置する霊園を探して行きたいと思っています。
ぴーちゃんにとって、どのような一生であったのでしょうか。
親元を離れて、人工保育で育ち、猫同士の関係もつくることもなく、人間といっしょにくらした13年8か月はどうだったのでしょうか。いまにしては、かわいそうな生活だったようにも思います。ぜひ、今度生まれかわれたら仲間と生活できる世界に生まれてください。
育て親になった我が家族には、ぴーちゃんはかけがえのない存在でした。おかげでこの間、家族みんな穏やかに生活することができました。ぴーちゃんどうもありがとう・・