西武秩父線 高麗駅に13時30分集合して、徒歩15分で高麗川にある曼殊沙華の群生地の巾着田に行きました。プロ写真家の塩原先生の指導の下で13:45から15:45まで撮影をしました。天気もよく、曼殊沙華もことしは ちょうど見頃でした。
① 巾着田の彼岸花の歴史は?
昭和40年代に当時の日高町が巾着田を取得し、昭和50年代~60年代ごろに草藪の草刈りをしたところ、大規模な
ヒガンバナ (彼岸花、曼珠沙華)の群生が見られるようになり、報道が始まったことで、有名スポットとなっ
た。 河川の蛇行や氾濫により上流部から土砂とともに球根が流れ着いたものと考えられている。
➁ 名前の由来 巾着田(きんちゃくだ)
は、日高市内を流れる清流、高麗川(こまがわ)の蛇行により長い年月をかけてつく
られ、その形がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田と呼ばれるようになりました。
巾着とは布や革などで作った、中に小物や金銭を入れる小さな袋。口には紐が通してあり、その紐で口をくく
る。
➂ いつ巾着田はつくられたの
地元では川原田と呼ばれている。 8世紀にこの付近に移り住んだ高句麗からの渡来人が、大きく湾曲した高麗川
を利用して この地を開墾して田を作り、稲作を伝えたと言われている。 昔は文字通り水田が広がり、その面積
は約17ヘクタール (17万平方メートル)に及んでいた。
曼殊沙華の様子と同時に、上の話も参考に、歴史についても調べながら観賞してもらえるとよいでしょう。
最盛期には赤の絨毯のようです。その中に白い曼殊沙華を見つめるのもよいですし、ひとつひとつの花をゆっく
り見ながらスマホやカメラで撮影するのもよいとおもいます。コロナで自粛していた生活からの解放という意味
でも出かけてみてはどうでしょうか。